Twitterで行われた第二回大人絵本会のテーマが、この『おおきな木』でした。
私は絵本会当日に初めてこの絵本を読み、参加しました。
主催のえほんうるふさんのブログなどで、この絵本については「どうやら手強いらしい」というイメージがありましたが、意外とすっと入ってくるものがあり、それ我ながら驚きました。
絵本会前の主な感想は
・リンゴの木の行いは、どちらかというと【施し】ではないか
・しかし、それにしてもリンゴの様子は自己満足に見える
・リンゴの木の擬人化について
・ひとりの人間の一生を淡々と映したものとして心打たれた
この絵本は評判が高いようですが、木の行為や木と男の子の関係性には、やはり疑問が残りました。
リンゴの木はちびっこを「ひたすら待ちわび」(まあ、木ですから動けませんけども)、現れたことを喜び、ねだられるままに物質的なものを与えようとし、与えたことを「うれしい」と喜びます。
与えたものとはつまり、木のからだである実や枝・幹ですから、犠牲的な与え方です。自分のからだを差し出して、「うれしい」と。
そこに「与えることができて、ホッとした」というニュアンスも感じるのです。
絵本会では木の行為を親や祖父母に喩える発言もありましたが、「かわいくてかわいくてつい甘やかしてしまう」というのとはちょっと違う印象を私は持ちました。
木は、何かを与えているつもりだけれど、非常に受身な気持ちなのではないか。与えるという行為にアイデンティティを置き過ぎなような気がして、そこがちょっと痛々しい。
ただ、これは私の個人的な受け止め方と、訳文の影響も強いような気がします。
訳と巻末解説については、絵本会の発言でも否定的な意見がやや多かったようです。本田錦一郎氏は、思い入れを訳文に込め過ぎたきらいがあるのかもしれません。
かといって、私の英語力では、もし原文で読む機会があっても、おそらくニュアンスの違いはわかりませんが……。
一方、ちびっこは、木を労わることもなく、木に与えられたものを奪うように自分のものとします。
この点については、違和感がありませんでした。多くの人間が当然、男の子と同じように行動すると思います。
この描き方は真実で事実だと思うのです。
これで男の子が毎回何か木にやさしい言葉をかけたりでもしたら、それこそ偽善的で「気色悪い」と思っていたことでしょう(笑)。
今回の絵本会で個人的に面白いと思ったのは、リンゴの木と男の子の関係を【親子関係】、つまりご自身が我が子へどう「与えるか、与えたか」を省みる参加者が多くいらっしゃったことです。
私は独り身なので、そのような読み方はできませんが、「読む者の状況や立場が解釈に強く影響する」類の作品であるのだなあ、と強く感じました。(前の記事にも書きましたが、これも何か心理学的な分析ができそうです(笑))
私としては、ひとりの人間が成長し、老い、死を間近にしていく様を、最低限に凝縮し、過不足なくすらりと描いてあることは高く評価したいなあ、と思いました。
思春期、青年期、壮年期、老年期……その年頃で抱く欲望や不満、心身の様子が文と絵でしっかり伝えていると思います。
壮年期、老年期、に関してはまだ未体験ですので、歳を取ってから読み返し、どう感じるのか楽しみです。
表紙カバーの折り返しに「3才から老人までの絵本」と書いてあるのが、とても心に残っています。
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